Vol. 12 – パプアニューギニア – 連載2 浪漫の旅先..

Vol. 12 – パプアニューギニア – 連載2 浪漫の旅先..

プアニューギニア – 連載2 浪漫の旅先..

これだけ旅が簡素かつ容易にできる時代であるからして、ひょっとしたら開拓されていないサーフポイントはほとんど皆無なんじゃないか、なんてとても夢のないことを考えたりする。1970年代にアメリカ人のボブ・ラバティがインドネシアのグラジガンベイに完璧な波を発見したときのような、浪漫に溢れたストーリーは今ではほとんど幻、おとぎ話というのが現実なのだ。悲しいことながら。

初めてパプアニューギニアを訪れたときのことを記そう。2008年2月、私は首都ポートモレスビーから国内線で約1時間のマダンという土地に降り立ち、そこからクルマで約2時間かけてトゥピラ村に到着した。その村はサーフスポットとしてまだ無名の場所で、ツーリズムも開始して間もない時期だったことから、僕を含む旅の一行約10人は大変な歓待を受けた。腰巻きや羽飾りを纏い、原色に近いカラフルな染料を顔や体に塗った格好で、シンシンと呼ばれる伝統的な踊りを披露してくれたのだ。その時点ですでに他のサーフ・デスティネーションにはないエキゾチックな匂いがぷんぷんにしていた。

トゥピラ村の目の前で割れる波は、月並みな表現ながら極上だった。湾状になった海岸線に沿うようにして入ってきたうねりが、規則正しい速度でライト方向にブレイクするのだ。海の中には仲間しかおらず、どの波を選択するかは自分の好み次第である。

と、これだけでも訪れるに十分値する場所なのだけれど、他にまだ誰も乗ったことがない波が存在する、と聞いた僕たちは、近くに停泊していたボートを走らせて波探しに出かけた。青く透き通った海上を、この辺りで唯一のエンジン付きボートが駆けてゆく。すると、わずか15分ほどでサーフポイントらしき場所を発見した。誰もサーファーがいないのでそこがポイントかどうかもちろんわからないのだけれど、入り組んだ海岸線にブレイクしていたそのレフトの波は、十二分に楽しめそうだった。そして迷わず海に飛び込んだ僕たちは、そのポイントにニール・アームストロングさながらのファースト・ステップを刻んだのだった。

もうおわかりであろう。このように、パプアニューギニアはまだ発展途上のサーフ・デスティネーションであるが故に、前人未到のポイントが点在しているのである。事実、僕たちもその後、何度かそうしたポイントを訪れたし、翌年、翌々年と新しいスポットが見つかったという話を耳にした。こんなところは現在、世界中を隈なく探してもそうそう見つかるもんじゃない。

まさに浪漫、浪漫が味わえるのである。


中野晋 ライター/エディター 1971年生 新潟県出身 千葉県在中。21歳のときに波乗りと出会いカリフォルニアへ渡る。flow、SURFTRIP Journal などのサーフィン専門誌に携わり、現在は SURFTRIP Journal のディレクターを務めるかたわら、執筆、編集、翻訳をこなす。世界を旅する中、2009年にパプアニューギニア初上陸。これまでの旅先とは一線を画すワイルドな波の数々に、すべての概念が吹き飛ばされる経験をする。